日本ボーイスカウト福岡県連盟
1985年 第一回フィルモント・スカウト・ランチ派遣団参加の想い出
The record that Japanese boy scouts went to U.S.A. in 1985.
1985年 7月 30日 出国 〜 8月 14日 帰国
〜アメリカ・ニューメキシコ州シマロンでの体験〜
I took a ceremonial photograph with John. 移動キャンプ前半に同行してくれたイーグルスカウトのジョン氏とお別れの記念撮影 彼は当時21歳で私と同じ歳・・・(同じ歳とは思えない貫禄!!) 当時日本のボーイスカウトの正服は半ズボンでした。 ジョンに私はこう尋ねられました。・・Are you Fuji scout? ? 私は答えました・・No, I am not Fuji scout. |
|
8月1日アドベンチャーハイク(移動キャンプ)に出発 |
「フィルモント」 私は小学校4年生の時に福岡市南区を拠点とするボーイスカウト福岡第4団に入団しました。 フィルモント派遣団参加のきっかけ はっきり言って親の薦めです。 当時のフィルモント派遣団旅行代金はおよそ68万円。 当時、私の大学の学費が年間37万円でしたので、どれだけの金額か判るでしょうか?? 参加者募集要項が配布されてきても、私自身は無縁な募集だと気に留めていなかったのですが、将来旅行の仕事に就く予定だった私に、両親は「学生時代に一度海外に行かせてやりたい」と思っていたようです。 野営あり!ホームステイあり!観光あり!という盛りだくさんのプログラムに、魅力を感じたのは私の両親のほうでした。 出国準備 インターネットがない当時、私たちは現地の情報はほとんど入手できず、フィルモントについて書かれたコピーのような紙切れを見るしかありませんでした。 もちろん、周囲に行ったことがある人もいません・・・ なんといっても私たちが福岡県では第一回の派遣団! 事前にわかっていたことは・・・ ・フィルモントは広い・アメリカニューメキシコ州にある・ウェイトフィリップスという人がアメリカのボーイスカウトに寄付した土地・標高が高くて2〜4千メートル級・熊が出る・ガラガラヘビもいる・いろんな動物と遭遇するかもしれない・たくさんの冒険的なプログラムがある(乗馬・ライフル射撃・砂金取りなど)・移動キャンプをする・昼夜の温度差が激しい・ホワイトガソリンのストーブ(コールマンピークワンストーブ推奨)で調理する という程度でした。 1ドル240円
フィルモントとは・・・ フィルモントの公式ホームページ http://www.philmont.com/ に 掲載されているものを翻訳すると次のようなことが書かれています。 Philmontは大きいです。 137,493エーカーおよそ215平方マイル Philmontは、6,500から12,441フィートまで起伏の多い高い山 信頼、独立独歩、完全性と自由を恒久化する目的でアメリカのボーイスカウトに捧げられます 1939年のPhilmontの初のキャンプシーズンから、650,000人以上のスカウト、エクスプローラと彼らのリーダーが、そのプログラムの挑戦に参加しました キャンプシーズンは、6月中旬から8月まであります。 少なくとも2人の成人のリーダーを含む7-12のクルーに組織されて、参加者は10日間Philmontの山を歩きます。そして、いろいろな僻地キャンプで夜を過ごします。職員を置いているキャンプで、クルーはPhilmont僻地スタッフによって提示されるいろいろなプログラムに参加することができます。これらの中で、プログラムは乗馬、ロバパッキング、金のパニング、ロッククライミング、30.06のライフル銃撃、考古学、マウンテンバイクと解説的なプログラム(例えばホームステッド法と山岳住民ランデブー)です。 以下略 ベアーバックとクマ対策 クマの攻撃を避けるために、夕食後はすべての食料とハミガキや タバコ・ガムなどの香いのするものすべてベアーバックと呼ばれる 麻袋に入れて木に吊します。 吊すといっても5メートルぐらいの高い場所に吊すのです。 当時タバコを嗜んでいた私にとってはちょっと困りました。 就寝中にクマがもし襲ってきたら、笛を吹いて追い払うと教えられましたが今はどのように指導されているか不明です。 フィルモントでの食事 移動キャンプ中の飲み物は川の水を水筒にくみ、微生物を殺菌するという薬品を入れてしばらくして粉ジュースを混ぜます。味はまあまあです。 但し、食事は最低です。ほとんどインスタント食品みたいなものです。 ビニール袋に何月何日のLUNCHとかBREAKFASTとか書いてあるのでその袋を全部開けて沸騰したコッフェルに入れれば出来上がりです。英語が読めなくても調理方法はだいたいわかります。 ピークワンストーブ1個で4日間1リッターのホワイトガソリンで7人分の食事をどうやって調理するのだろうと疑問に思っていましたが、こういうことでした。 それにしても味はマズイし食べ終わっても腹が減った感じでした。 ベースキャンプの食堂もおいしくないと思っていたのは日本人だけなのか?疑問に思ってアメリカのスカウトに尋ねると、彼らもやはり「おいしくない」と言っていました。食事のマズさはいつものことのようで、こんなもんだと思えば我慢できるのだと思います。我々が期待しすぎたのでしょう!今はよくなっているかもしれません。 余談ですが・・食後はいつもファーストフードコーナーでハンバーガーを買って食べました。電子レンジでチンでしたが、店員の子がかわいくて、言葉も通じないのにハンバーガーショップの女の子とコマ遊びや指相撲をしたりして国際交流(?)しました。 フィルモントの気候と服装 当時の資料では夜が寒いことが強調されていました。 ジョンの説明では、防寒着はセーター1枚とウインドブレーカー1枚で 十分だと言っていました。 実際に寒いと感じたことはなかったように思いますが 急な天候の変化も予想されます。 フィルモントのお土産 スカウトマーク入りの商品はたくさんありますが、やはり おすすめはベルトとバックルでしょうか? 記念に買ったベルトは今でも正装の時に使っています。 あと、バッファローの形をしたネッカリングやネッカチームも人気でした。 今はネット通販もしているようです。 持っていくと喜ばれるもの ・浴衣 ・お祭りハッピ ・とにかく漢字が入ったもの ・うちわ など アメリカのスカウトは正服を交換したがるので、正服は多めに持っていくとよいです。彼らはその場で自分の正服と交換することを望みます。 もちろんスカウトマーク入りの日本製品も喜ばれます。 イーグルスカウトに学ぶ イーグルスカウトとのはじめての野営はよい勉強になりました。 言葉はうまく通じませんでしたが、一生懸命に私たちを理解しようと努力していました。いつもスマートネスで言葉では表現できないスカウトのすばらしい精神がにじみ出ているように思いました。 当初私は彼のことを「MR.John」と呼びました。すると彼はMRと呼ばないで!「John」と呼び捨てにするようにと言われました。 ともに仲間だということを言いたかったのだと思います。 ジョンから日本人スカウトを見た感想 ジョンに私たち日本人スカウトをどう思うか質問しました。 もちろん誉めてくれましたが・・・ 彼には年功序列の形態が理解できなかったようでした。 たとえば、清掃奉仕活動中に休憩するときにジュースやコーラを買いに行くのは年下のスカウト。2〜3人のスカウトがみんなのお金を預かって、みんなの分を買いに行きました。年上のシニアスカウトや私のようなローバースカウトは飲み物がくるまでその場に休んでいます。そんな光景がアメリカのスカウトには不思議だったようです。私たちからすると「7人みんなで買いに行かなくても2人行けばいい」という感じです。しかも年下の者がすすんで行動し、目上の者を敬うという姿に感心していたようです。 今、私は・・・ フィルモントから帰国して20年が経ちます。 当時21歳だった私は今41歳になりました。 帰国したとき、あの日本航空123便が墜落したばかりで日本では大変なことになっていました。 今、私はボーイスカウトを続けています。 小学校4年生の時に入団した福岡4団で、指導者となりました。 当時いっしょにフィルモントに行った仲間はみんなどうしているのでしょうね? あのときの体験を、今子供たちの育成に役立てたいと思います。 ともに派遣団として参加したみなさんからのお便りをお待ちしています。 2005年 10月 1日 ボーイスカウト福岡県連盟 福岡第4団 ベンチャー隊 隊長 山 領 正 太 |
参加したローバースカウトたち |
|
移動キャンプの前半は現地リーダーが同行して 熊対策の方法などフィルモントでの野営法を教えてくれるが 後半は自分たちチームだけで移動を続ける |
|
アドベンチャーハイクはじめての朝 テントは現地貸与で2名で1張り |
|
ライフル射撃・・自分で火薬と鉄球をこめて引き金を引く |
|
「木登り」・・・ ってこんなプログラムだったとは誰も予想していなかった。 日本だと杉とか柿の木を連想しそう。 派遣団で挑戦したスカウトは数人だった |
|
普通のスカウトならフィルモントで道を 間違えるようなことはまずない |
|
「砂金とり」・・最初は見てるだけだったけど おもしろそうなので私もやってみた |
|
幸い熊とは遭遇しなかったが、リスやウサギ・鹿はたくさんいた。 リス・ウサギ・シカ・クマがいる野営場なんてカブみたいで感動! |
|
なぜかフィルモントには女性スカウトが多い! |
|
フィルモントでのプログラムを終えてネバダ州経由でLAに向かう |
|
現地では日本語は全く通じないと思った方がよい |
|
ボーイスカウト福岡4団のホームページ 当時はデジカメもなくて、家庭用ビデオカメラもやっと出現した頃で記録があまり残っていません。 このページの人物画はご本人の承諾を得ず掲載している画像もあります。お気づきの点がありましたらご一報ください。 |